たまごとひよこ主宰 保育士 糸原徳美さん

どんな様子?「作って食べておしゃべりの会」
小豆麹の会(2024/10)

糸原さんが主宰している「たまごとひよこ」という子育て支援グループの活動の一部「作って食べておしゃべりの会」小豆麹の(あずきこうじ)の会に参加させていただきました。

糸原さんは、私の子育ての恩人と言っても過言ではない人です。
それくらい、1人目を生んだ後の半年~1年というのは迷いに迷っていた日々だったし、今考えれば出産後は完全なる「マタニティーブルー」でした。
産婦人科入院中も、退院後の子育てサロンでも、どれだけ救われたことか。
いつか恩返ししたいと思っていたので、やっと恩返しが出来るステージに来ました。
うちの上の娘たちはもう成人したので、糸原さんに会ったのはもう20年以上前。(汗)
コロナがあったり(リモートで子育て相談実施していたそうです)、周りの環境が変わっても、変わらず精力的に活動されていて、本当に頭が下がります。

さて、小豆麹の会、人のうちに勝手に上がり込んで、みたいな感じです。(笑)

奥の台所で皆で何やら作っています

メニュー

・昼前のおやつ~小豆麹とフランスパン試食

・豚の麹漬け
・先日仕込んだ夏味噌(この集まりで作った味噌)で、シメジと豆腐、コーンの味噌汁
・エビとシメジとコーン(シラスのせて食べました)
・豆腐とポテサラのグラタン風…🥦をトッピング
・出汁で煮た🎃カボチャありましたが、ハロウィンの飾りもせずに食べちゃいました

参加者の声

この日参加した人は10代の助っ人、20~30代(1歳代のママ&お子さん)お2人、30代(まこも蒸しの先生)、40代(糸原さんの右腕)50代(インタビュアー)、60代(糸原さん、発酵マイスター)、と本当に幅広い年齢層でした。

●無茶苦茶おいしかったです~。また来たいと思いました。こんな集まりなかなかいですね。
●みその風味が売っているものと全然違う!
●今回で3回目ですが、今回も楽しかったですし、育児&食事&健康について学べた良い会でした。
大人数で長テーブル囲んで、誰かが作ってくれるご飯食べるのってやっぱりいいな〜と✨
息子もあちこち家中を冒険していたのに、ご飯の時は集中してよく食べました。
(お味噌汁、ポテトサラダがお気に入り)
豚肉は全部飲み込めなかったですが、しゃぶしゃぶ&かみかみして味わってました。
食事と腸の関係性、便の大切さなど…諸々教えていただきました。
●いろいろな年代の人と話すのはいいなと思いました。
●普通に集まっていたら絶対集まらないような人が集まっている。

この会に続けて来てくれている子は、外孫みたいなものです、
毎月会って、どんな成長しているか?をママはみてもらいたいと思っているんですね・・・親でもない、ママ友でもない、他の第三者に。

さ~て
これからインタビューです

「いいんだよ、みんなでしゃべっていれば。今のお母さんは情報が多すぎて選べないんだよ」
糸原さんがいる産婦人科の先生の言葉です。

そう、物言わぬは腹ふくるるわざと、徒然草で言ってます(←高校の古典で唯一覚えてる、笑)

その1どうして保育士?

糸原さん~お久しぶりです~!!(嬉泣)お元気でしたか~?

はーい、何とかやってますよ~。

保育士を志したキッカケ、教えて下さい!

すごい大家族だったんですね。
おばあちゃんは父が3つの時に病気で亡くなって、その後に後妻さんがきて、父の兄弟は総勢11人。
そのおばあちゃんの法事に集まるのが新年会だったの。
うちの新年会は、近所の懇意にしている人、いとこも来て大宴会。
代田橋の寿司屋を借り切って宴会、お酌をすると小遣いがもらえる。(笑)
お婿さんたちも仲良しだったのが、一杯飲むとケンカが始まる、お寺出入り禁止になるような。(笑)
それも今笑い話になるようなエピソードなんですよ。
それくらい寛大で、私はそういうのをずっと見てきて
子どもチームは私が一番トップだから、大人が飲んでいる間に子どもたちの時間をつぶす係なんですよ。
小さい子はおんぶして、みんなを連れて公園に行ったりとか。
(実家の敷地にも)粘土質の高い山があったり、奥の方に砂があったり。

ご実家は何屋さんだったんですか?

瓦(かわら)屋です、製造もしていました。

瓦を焼いてたんですね。

昔は「セメント瓦」というのがあったんですよ、焼き瓦じゃなくて。
工場もあって、セメント入れる暗室と乾燥棚と機械が何台かあってとっても面白い環境でした。

その2 保育士を志した頃

その流れは自然と保育士を目指しますね。

私の行っていた学校は保育科も100人しかとらないところで、実習が多くて現場によく立ちました。
2年生になると、付属の幼稚園で1年間通じて現場に入るんです。
プログラムを出して修正、それと並行して自分が朝の会を担当したり、砂場を担当したり。
表現教育がすごく有名で、ドイツで学んできた第1人者がいました。
学生は、1年間の集大成で子どもたちへのお楽しみ会を企画していました。
教務主任は厳しく愛情の深い人で「子どもが好きなくらいで保育士になるなんて、動機にはならない」と言われるくらいでした。
仕事にするためのプロフェッショナル性は、当時の私にはわからなかったけれど。

その3 保育園で働いていた頃

卒業後は保育園で働いたのですか?

保育士の採用試験、当時は23区どこでも試験日が被らなければ受けられたんです。
今は1つしか受けられないけど(2024/11)。
2つ受けて、受かったうちの1つの区に就職しました。

どれくらい保育園にいたんですか?

12年かな。
結婚したのは、6年目。
職場自体はめっちゃ面白かったんです・・・だんだん自分の思うようなプランが実現出来てきて。
例えば、発達に応じて編曲したり、プログラムを作ったり。

自分のやりたいように出来るということですね。

園長に「あんたのクラスだけどうして変わったことするのよ~!」と怒られたりしました。(笑)
絵本から題材をとって、その題材に合わせた歌を作った人がいるからその歌を歌って劇にするような一連の総合教育プログラムが、私は好きだったんです。
発表会では、絵本を読んだり歌を歌ったりお友達の事を気にしながらセリフを言う、立ち回りする、そういうのが全部「総合教育」になってくるから楽しくって。
よそのクラスのお母さんが、発表会の次の日に連絡帳で「○○クラスはすごかった」とノートに書いてくれたりして、めっちゃ面白かったよ。

コールアンドレスポンスですね!

調理の人達にも認められて、「あんたのクラスは、本当に食器の片付けのときの残滓(ざんさい)が少ないので全然違う」とめっちゃ可愛がられたのですよ。

給食の先生としてはすごく嬉しいですよね、残さず食べてくれるって。

朝、水筒に散歩用のお茶を詰めてもらうと「ちょっと待ってちょっと待って」と言われるから何かと思ったら、お菓子の余りとかくれたりする。(笑)内緒だけどね。

愛されてますね。

「あんたのクラスはご馳走様!とか、挨拶が本当によくできるね」と。

当たり前なんですけど、それが出来ていると出来てないとじゃ、大違いですよね。

そのうち公務員でやる保育に限界をちょっと感じ・・・お母さんとのやりとりで「保育園に迎えに来たお母さんを捕まえて話をするとは何事だ、遅い時間でお母さんを立ち止まらせるのはよくない」と。

ああ、なるほど・・・・。(切実)

でもそのお母さんは、障害の子もいたし、おばあちゃんの介護もあったり大変なうちだったの。ガス抜きで話を聞いてあげたかった。

すっごい分かります・・・。(切実)

当時の管理職が、ベランダに立って仁王立ちして監視するような人だったんですね。
その頃、保育園でジャングルジムでの死亡事故などがあり、うちで起こしちゃいけないというのもありました。
私も管理職のどなり声を聞いているだけでキューっとなっちゃう感じで、3か月で10キロくらい痩せたの。

え?糸原さんが?

自分以外の人が怒鳴られることも多いし、休憩時間は管理職の悪口しか聞こえてこないし、主任も「私知らないわ、時間だから帰るわ」みたいな人だったんです。
主任補佐はおむつも替えも出来ないような人なのに、私達よりボーナスはいっぱい貰っている。
「このステージじゃなくて、一生人と繋がっていける仕事にしーよう!」と。

糸原さんらしいですね。

でも、すごい悩んだ。
仕事は面白いし、コツつかんできているし、人間関係も職員との関係もこれが大事というのが分かってきていたし、お母さん達のことも分かってきたし、何で辞めなきゃならないんだろうと。
公務員は福利厚生もいいし、休暇もいいし、超過勤務もある程度の金額は出るし。
職員を、大切にする職場では無かったので…。

その4 産婦人科の院内での子育て相談

産婦人科での子育て相談の仕事は、保育園を辞めてすぐに始めたんですか?

自分も2番目の子どもが出来て、産婦人科に通い始めたんです。
子育て相談をずっとやりたかったから「先生、私の出産が終ったら院内で子育て相談、やりません?」って。

自分からアタックしたんですね。(笑)

1人目の時、むっちゃ印象に残るお産だったんですよ。
大出血しちゃったの。
産む1週間前から出血して・・胎盤が早く落ちてきていたみたいだったけど、出産直前にさらに出血しちゃって。

輸血しなくて大丈夫だったんですか?

ギリギリですね。
当時、出血を受け止めたシーツなどの重さを測ったら、1500mlくらい出血していた。

それは大変でしたね。そんな印象的な出産が1人目で、2人目妊娠時に直訴したんですね、どうでしたか?

「いいよ。いつから?」と院長から快諾いただき。

(笑)

助産師さんたちもインパクトある患者だったみたい。
私の入院中の思い出は「毎朝パン食は嫌なんだけど」と住み込み助産師さんに愚痴を言う人だった。(笑)
母がご飯のおかずを持って来てくれたからセーフだったんだけど、毎朝パン食は、修行だと思った。
私、パンを毎朝食べる習慣がない・・・
子どもの頃に体質改善したんです。
小児喘息だったし、アレルギーで化繊の下着を着るとかゆくなっちゃう子で、女性ホルモンたっぷり入った餌を食べている、卵と牛乳は自分の中ではカットだったんですよ。
結婚してからは、乳製品/卵無し、ご飯は玄米だったり白米だったり。

近所に住んでいた同じ歳ごろの男性が半身麻痺で…リハビリでお散歩していたのを見て、夫に「30代で脳梗塞になったらいやだから、弁当を持って行ってちょうだい」と。
そうすると「え~、お弁当なんか恥ずかしい」という人だった。
「あんた1人がお弁当を持っていけば、そのうち他の人も持ってくるようになるよ」「公園で食事している営業マンとかもいるし…」と。

目に浮かびます。(笑)

営業の人って、砂糖いっぱい入った缶コーヒーを1日7本も8本も飲むんだよ。うちの旦那も平気で飲んでいたし。

うちの旦那も飲んでましたね。話しを戻します、産婦人科の先生の「いつから来るの?」で子育て相談を院内で始めたんですね。

第二子は3月生まれだったので子育て相談は8月からスタート。
自分の子どもは実家で母が見ててくれました。
当時のお母さんは病院に来るということ自体ハードルが高くて、「え?病院に診察以外で行くんですか?」みたいな。

私もそうでしたよ、「何で病院でこんなこと(子育て相談)やってるんだろう、不思議な病院だな」(出産して退院した後に、病院内で同じ月齢の子を集めて子育て相談を開催していた)と思ってました。

一番初めに来てくれた2人は、「糸原さんの子育て相談は、あーせーこーせー言わないからいい」と。
例えば、絵本は「これは古くから人気よ~」とか選び方は言うけど、「この本は定番だから読みなさい」とは言わない。
子育てはある一定の時期は関わるけど、お母さんが判断しなきゃいけないということを覚悟してほしかったの。

いい言葉、頂きました!でも本当にそうですよね。進路を決めるとき人から言われるんじゃなくて、自分で考えるのがいいと、京王線の運転士さんも言っていました。

【子供と学ぶ】アーカイブ・2014/11京王電鉄の運転士さん、細矢さんがキャリア教育の先生としていらしてくれました!

自分で決心しないで、誰かに相談すれば答えがもらえるんじゃないかと思っていることを、やめさせたかったの。
お母さんは、ママ友の言葉はめちゃめちゃ響くけど、私の言うことは聞いていないことが多いんです。
院長先生は「(気持ちを)吐き出す場だ」と言っていたし、発達を知ったら子育ては楽しくなると思ったんだけど、講義みたいのはやっぱダメだなと。
先生が「いいんだよ、みんなでしゃべっていれば。今のお母さんは情報が多すぎて選べないんだよ」の一言で、割と一気に力が抜けて。
その言葉がすべてだった、子育て相談室の指針だよね。

それが20年前(2004年ごろ)だったら、今はもっと情報過多が加速していますよね。10人中10人「うん」というと思います。そこに糸原さんの存在意義がある。

ある人に「今まで何やってきたんですか?」と聞かれたんです。
多分その人は「○○の看護学校で講義した」とか「児童館で○○していた」とか履歴書に書けるようなことを言ってほしかったんだと思うんです。
みんな分野を分けたがるんですね、助産師はここからここ、保育士はここからここ、と。
おっぱいのあげ方は助産師、みたいな言い方をする。
でもね、1日に流れの中でおっぱい/ミルク飲まない子いない、おしっこしない子いない、と考えたら全部トータルなはずなんです。
どちらの分野(助産師/保育士)も、両方が長けてないとダメだと思っています。
何でそこを分けるのか?
でもそういう世の中になっていて、大学病院は子どもは小児科、心の病は精神科、分かれていますよね。

1人の人間なんですけどね。親の介護で今まさにそう思っています。(訪問診療/泌尿器/精神科の先生の連携が難しい)

私が師と仰ぐ先生が3人います。
保育科の時の小林美実(こばやしよしみ)先生 、医学博士・農学士の金子卯時⾬(かねこうじう)先生、産婦人科院内の「子育て相談室」の開設に理解を示してくださった青木基彰(あおきもとあき)先生。
ラフな考えで白黒つけないのが、小林/金子さんも同じ傾向で「全体を診なさい」と。
※難しく言うと言うことは、心理学上、「マウント(相手を威嚇する)をとる行為」なんです。

私はそういう思いでこのサイトを作ったんですよ。(膝を打つ)難しいことを難しく話すことは誰でもできる、簡単に話す事がどれだけ難しいか。

その5 子育て支援グループ「たまごとひよこ」

病院外で行うこの会は「たまごとひよこ」という名前の会です。
その意味(想い)は、からだと気持ち、どっちが先か?ということです。
名前を付けたあとに、子育て雑誌「たまごクラブ」「ひよこクラブ」が出たんですよ、商標登録しておけばよかったなと思って。(笑)
キッカケは、自宅で体の「調整」をして7人くらい集めてその後に「ご飯食べない?」と、誘ったりしていたこと。

調整ってやってもらっていました、病院にいた時。何だろうと思っていました。(笑)

「りんごの皮、剥いたことあるの?」という感じの10代のママがいて・・・生活に追われている中で、子ども2人と自分の分の夕飯は「お弁当1個」で足りるって。
どうしたら食の事に関心を持ってもらえるか、いろいろ考えました。
根気よく嫌にならない誘い方をして、料理の本を見せて「この中で作りたいものある?」と聞いたりしていた、そうしたら動機づけになるから。
「たまごとひよこ」では旦那も巻き込めるといいなと思って、土曜日は「掘った芋を焼いて食べない?」とパパを誘っての活動もプレーパークでやって。
ママたちは作業があるのでワーワーするけど、パパは子どもを抱っこしてよそよそしく過ごす、子どもを抱いているだけが僕の使命、みたいな。(笑)
今は、公園を巡回してみんなで落ち合おう見たいなこともやっています。

皆が参加しやすい環境を作っているんですね。

公園巡回の説明にはこんなこと書いてます。
・・・・・・・・・・・・・
成長期の子どもは、お日様にあたって骨の成長を促すと言われています。
しかし、1人で子どもを連れ出すのは孤独を感じ、何をして遊べば良いのかと気分は下がりますとの声もあります。
そこで、スタッフがいる巡回先に遊びに行ってみるってのは、どうかな?
おもちゃも持たずに遊べるし…帰りに買い物も出来るんじゃない?

そうなんですよ、ママ友が出来る前は、ママ友ゲットに必死になってました。汗
子供が小さいうちは旦那が仕事に行ったらそのあと大人と喋る機会ないママ、いると思います。

公園に行って、知り合いがいて、おしゃべり出来ればママの気も晴れるよね。

ああ、ありがたくて泣けてきます。(笑)

インタビュー
後記

実はインタビュー、小豆麹の会開催中にしようと思ったのですが、ちゃんと聞けなくて(笑)再度インタビュー依頼しました。
小豆麴の会もインタビューも、昭和のにおいプンプン(いい意味で)の糸原さんの実家で行われました。

これから取り壊すとのことで荷物の整理を手伝いながらと思っていたら、「まあお茶でも」と入れてくれてマシンガントークがスタート。(笑)
途中、「ピンポン」とチャイムが鳴り、弟さんが来たり、職場の同僚が尋ねて来たり、糸原さんの人となりが分かりました。

また、今回のインタビューを通じて「保育士の専門性」の深さも初めて知りました。
子育て経験のある人は、何かとお世話になる保育士さんですが、当たり前ですが、身体の事、発達の事、すごーくいろいろな勉強をしているんです。

その知識と経験をミックスして、あの手さばきが実現するんですね!

保育士は、子育て/子どもと接することのプロですよ、プロ!
子どもの事、超~知ってるんですよ。
なので、もっと頼って&リスペクトしていい存在なんです。

子育てしやすい世の中を作るのに必要なのは、お金よりもこういう人の存在なのかもしれません。