金継ぎ 大滝豊さん(ウルシオータキ) 

ホームページ:ウルシオータキ
https://www.u-ohtaki.com/

取材キッカケ
(2024/4)

出会いは、9年前の2015年7月、ネットで探した「金継ぎのお店」(※ほんとは漆職人ですよ、念のため)でした。
しかも、遠い新潟の地。
遠いのにどうして頼もうかと思ったかというと、大滝さんのブログにお父様の介護の事やらなんやら書き連ねていらっしゃったから。
それくらい「人となり」が分かったからお願いした、ともいえますね。
取材時はすでに金継ぎを何度もお願いした後。
詳しくはコチラ→【楽しんだ】金継⇒物を大切にする心

には、三姉妹の娘がおります。
うちの三姉妹」という漫画があり、にんべんの景品でその茶碗プレゼント企画があり、応募したら当選!

(今は長女が21歳ですが、茶碗ゲットしたのは15年前くらい)
なんかもう、うちのための茶碗というか。(笑)
そして、使っていれば形あるものはやはり割れるんです。
長女の茶碗を割ってしまった時に「そうだ、金継ぎという方法がある」とネットで探しました。

それが、ウルシオータキさん。

時は経ち2024年4月、美大に通う娘の課題で「潜り込み」という職人さんへのプチ見習いをする!というのがありまして、選んだのがウルシオータキさんでの「金継ぎ」。
大滝さん、娘の申し出を快く引き受けてくださりました!(ありがとうございます!)

2泊3日で新潟へ行くという娘に便乗して、その真ん中の日に新幹線の始発(目的地は新潟県村上市)で行って、帰りはその日の夜行バス(略して「ヤコバ」、笑)で帰ってくるという五十路のおばさんには無理じゃね?というような強行軍敢行。
(この機会を逃したら、まず行かないだろうなと思ったので)

大学4年生の娘が、私がしゃしゃり出て同席するのが嫌かな・・・と思ったら「別にいいよと」そっけない返事。(笑)
晴れてお許しが出たので、えいや!と新幹線予約。(ムッチャ楽しい)
東京駅発6:08で新潟着9:10だから、案外新潟は近い。
細かい道中はコチラをチェック

さて、その金継ぎの現場を、いざウォッチングスタート!

金継ぎステップその1:
茶碗の「器」と「破片」をくっつける

※以下の写真は、ゴム手袋をしているのが、娘が「潜り込みの課題」で茶碗をくっつける作業をしているところで、素手でやっているものが、大滝さんがやって見せている場面です。

まず最初に、接合する面を水と石けんでよく洗浄し、それが十分乾いたら、溶剤で薄めた生漆(きうるし)を割れた茶碗と破片の接合面に擦り込むんです。
そうしておくと、接合のための漆をつけたときに、陶器のままよりも、漆と漆は食いつきがいいんで、しっかりと接着し、丈夫になるんです。

持参した抹茶茶碗の破片に、娘が接合のための麦漆を付けているところ

金継ぎステップその2:
接着剤が漆

この2つをくっつけるのは、「麦漆」と言って、水で練った「小麦粉」と「生漆(きうるし)」を練り合わせたものです。
実際にやってみますね。
これ小麦粉なんですが、スポイトで加減しながら水を入れて、よく練り合わせます。
(写真を取り損ねましたが、ピース缶に小麦粉が入ってましした、懐かしい)

漆は、日本のものですか?

日本で使う漆には、日本産と中国産があります。
日本産は中国産の3~4倍の値段がします。
採れる量が少ないので、工程の一番大事なところだけに日本産を使うようにしています。

日本産と中国産は、違うんですか?

違いますね。
成分自体が違う・・・日本産の方が漆の主成分が多く、品質が良いんです。
この作業では中国産を使っています。
漆を水で練った小麦粉の半分よりちょっと多めに入れて、よく練り合わせます。
これが「麦漆」ですね、強力な接着剤です。

漆が接着剤になるなんて、昔の人は良く発見しましたね。

ね、ほんとに感謝です。(笑)
ただ麦漆は、完全に乾くのに時間が掛かるんです、大体1か月くらいしないと完全には乾きません。
(話しながら混ぜ合わせている)大分粘り気が出てきましたね。

え~!小麦粉と漆でこんなになるんですね~!

そうです。(笑)

天然素材でくっつけるものって、ご飯粒くらいしか思い浮かばないんですが(インタビュアーは昭和45年生まれです)

ご飯粒よりも漆が入った分だけ強力ですね。
この麦漆を、くっつける部分にできるだけ均一になるように竹べらで付けていきます。

【大滝さんの奥様】漆のかぶれは大丈夫ですか?
彼(大滝さん)は、漆の職人の三代目なので、免疫があるからかぶれないです。

【大滝さん】漆に弱い人は臭いを嗅いだだけでかぶれますね。ぼくは大丈夫です。
うちのかみさんはかぶれますが、ここで育った子どもたちはかぶれませんね。

なるほど、もう一人の娘が学校の課題で漆を使ってかぶれて大変だった時に相談したら、遠隔でいろいろ教えていただきその節はありがとうございました・・・。

いえいえ、大変でしたね、あの時は・・・。
しっかりまんべんなく塗っていきます。
空気に触れるとすぐに色が変わるけど、急がなくても大丈夫です。
(塗り終わる)
いったんこれで、1時間ほど放置しておきます。

金継ぎの仕事は、結構来ますか?

依頼が途切れることがないですね、一つ終わるとまた別の方の依頼が来ます。

私もネットで探したところがスタートじゃないですか、誰かの紹介でもなんでもなくて。
お願いしてみようと思って早9年です。

そうですね、確かに長いお付き合いですね。
さて、これを1時間くらい乾かしてからくっつけますので、いったん「塗り風呂」に入れます。

風呂??

塗り風呂は、濡れたスポンジを下に敷いて湿度を高くなるようにしてあります。
乾きの悪い時には、スポンジの下に敷いてある「電熱マット」に電気を入れて、中の湿度を上げるようにします。
今、中の湿度が93%です。
湿度が高くないと、漆が乾かないんですね。

え?湿度が高くないと乾かない???

普通「乾く」というのは水分が蒸発して乾くわけですが、漆の場合は、漆の中に含まれている酵素の働きによって漆が固まる=乾く、ということなんです。
その酵素が働くには、高い「湿度」が必要だということですね。
だから梅雨時が1年で一番乾きますよ。

梅雨時が一番乾く??!!

【脇にいた奥様】
梅雨時はどんどん乾くので、かえって仕事がやりづらいようですよ。
 
【大滝さん】
そう、漆の仕事で一番難しいのは「乾きの調整」です。
その時の湿度温度がその都度違うので、それに合わせて漆を調整しないといけないんです。
漆も古くなると乾きが遅くなるし、色によっても乾き方が違う・・・微妙なんですね。
早く乾けばいいというものでもない…早く乾くと、乾いたときの色が悪くなるので、ゆっくり乾いてくれた方がいいのですが、なかなかその調整が難しいんです。
漆は、空気に触れると少しずつ乾きが進んで、色が変わってきます。
麦漆を保存するためには、ラップに包んで密閉しておくんですね。空気に触れなければ、数日間は乾かず使えるので。

手についても大丈夫ですか?

その場合はホワイトガソリンで拭きます。
道具類についた漆は、油絵などで使うテレピン油をティッシュに浸して拭けば拭き取れます。
乾くと取れなくなるので、その前に拭き取っておかないと。
今日は雨だから、結構乾きが早いですね。 

雨で乾きが早いって、不思議ですね。・・・その板は何ですか?

これは漆を練り合わせる「定盤」(じょうばん)という道具で、普通のベニヤ板なんですけれど、この上で漆を何回も使っていると、擦り込まれた漆で艶が出てきますね。

おまけ:漆の取り方

漆は、漆の木に傷をつけて採るんですけれど、一度に傷つけてもだめなんですね。
だいたい6月の中旬くらいから11月くらいにかけて、4~5日に1本ずつ溝を付けていくんです。
傷つけられると、木はその傷口を治そうとして漆の樹液を作るんです。
付けた溝からジワーッと浸み出てくる漆をヘラで搔きとっていく。
だから木そのものは、傷だらけになって残るわけです、11月過ぎるともうそれ以上は出なくなるので、木を根元から伐採しちゃうんです。
つまり採れるのは1年だけなんです。

1年なんですね、漆の木から漆が採れるのは。

でも伐採した後の切株から芽が出て、8年くらい経つとある程度の太さに育つので、また採取できるというサイクルですね。
 
うちの中庭に、実際に漆を採取した後の木が置いてありますよ。よかったら見てください。

天然であるものなのか?植林するのですか?

昔は自然に生えていたんです。
漆の木があったところから、「漆搔き(うるしかき)」という仕事が生まれて、漆器の産地になったということですが、その後は木を人が植林して育てました。
でも今はもう、漆搔きをする人が、村上周辺にはほとんどいなくなっちゃって。

漆搔きをする人がいるってことなんですね。

漆掻きがいなくなっては困るということで、昔、市の方で漆の木を植え、漆掻き職人も養成したりして、ようやくその木が育って漆が採れるようになったんです。
が、それだけの経費をかけて採れた漆は、ある程度の高い値段になってしまったので、なかなかそれを買ってくれる人がいない。
漆の需要も少なくなって、漆そのものが売れなくなったので、せっかく植林した漆の木も、結局は放置されるようなことになってしまいました。
漆を掻くには、朝は早くからスタートして日が昇るころには終えるので、だいたいは農家と兼業でやっている方が多いでしょうね。

漆が取れる時間が「超限定」なんですね。

はい。
漆搔きをすると、昔はかなり儲かったそうです。
日常で漆のものが使われることが少なくなって、漆掻きをする人もなくなってきました。
まあ最近はまた、漆のような手作りのものが見直されてきてはいますけれど・・・。

日本橋界隈の大人の習い事の中で、着付け、香道、金継ぎ、というような並びでありましたよ。そもそも私、金継ぎをなんでお願いするようになったんだろう・・・もったいないというのと思いでもお茶碗なので替えが効かない。でも買った方が安いですしね、何なら。でももう一回使いたい。まさかそれがご縁で東京から新潟は村上まで来ることになるとは思いませんでした。(笑)
実際に金継ぎをして頂いた場所に来るにあたって、私は娘の茶碗をまじまじと眺めて、一番生活に根付いた工芸品の形だな、と思いました。

おまけ:何で漆職人に?&美大の話

武蔵野美術大学の短大出身とのことですが、その頃のムサビの入試は?

僕らの昔は10倍くらい、短大は8倍くらいでしたかね。藝大(東京藝術大学)はもっとすごい倍率でした。
受験の実技科目は、短大はデッサンだけでした、鉛筆で線を描き、透明水彩で色を付ける鉛筆淡彩です。
学科が英語と国語だけでしたね。
それまでデッサンはほとんどやったことがなかった。高校2年まではこの道に進もうと思ってなかったのでね。

え?どの道に行きたかったのですか?

歴史ものなど、そういうのが割と好きだったので、そういう方面に進もうと思って。

そういえば、源氏物語を読破されたってすごいと思って。

現代語訳されたものを、ただ読んだだけです。
でも登場人物の行動や会話は、ちょっと現代の人と感覚が違いますね。
以前からずっと読みたいなと思っていたのですが、なかなかできなくて。
そんな折、たまたま2024年の大河ドラマで「光る君」をやるというので、いい機会だと思って読み始めました。
 
本当は歴史や科学が好きだったので、漠然とそちらの方面に進むつもりでいたのですけれど、いざ実際に進路を決めるときになって、歴史や科学を研究する道に進んでも、結局は会社勤めをすることになり、「サラリーマンになるのは自分に合わないな」と思ったんです。

それが高2の時?

ちょうど高3になってすぐですね。
学校から進路調査の紙がきて、それを提出しなければならない土壇場になって、あらためて考えちゃったんですよ。
そんなときでしたね。
たまたま親父が仕事をする部屋に行ったら、漆を漉しながら、親父がぽつんと「物を作る仕事って、おもしろいぞ」と言ったんです。
親父はずっと「あとを継げ」とか一切言わなかったんですけれど、ぽつんと独り言みたいにそうつぶやいたのが、そのあともずっと耳に残って離れないんですよ。
「あ、そういう道もあるかな」と思って、ひと晩考えたあげく、翌朝うちのお袋に「やっぱり美大行くことにするわ」って告げたんです。

え~~~~!?!?!?!?

いきなり言っちゃったんですよ。
そうしたら向こうもびっくりしちゃって。
父が漆を漉しながら・・・真っ赤な漆がタラタラと茶碗のところに垂れていく作業をやりながらそういうことを言ったので、なおさら説得力があったんでしょうね。

それを今でも覚えてらっしゃるということは、よっぽどインパクトがあったということでしょうね。今日で明日の将来が決まっちゃったんだから。

自分の進路が決まった瞬間でしたからね。
決まる時ってそういうものかなと思って。

結構直感みたいな。

でもそれから大変でしたね。受験勉強するには、あと1年しかない・・・。
親が慌てて、デッサンはどなたかに教えてもらわないかと、さんざん探しました。
最初に考えたのは高校の美術の先生なので、その先生のところに1週間に1回、通っていたんですよ。
でも、そんな悠長なことではどうしようもなかったんです。
そうこうしているうちに夏休みになって、その期間に東京にあるお茶の水美術学院で、デッサンなどの夏期講習を受けたんです。
僕が東京に行っている間、たまたま父が新潟大学で彫刻を教えている先生の個展に行くことがあって、その会場で先生との世間話の中で、「実はうちの息子が美大を受けることになりまして」とお話ししたら、先生が「じゃあ、私がデッサン見てあげようか」と言ってくださったんです。
それでその先生について、デッサンを本格的に学ぶことになりました。
先生は、「とにかくデッサンは枚数描かないといけない。1か月に最低でも10枚は描きなさい」とおっしゃって、課題をもらい、3日に1枚くらいのペースで描き、月に一度先生に見ていただいて、何とか美大に合格できるくらいまでは上達しました。

素朴な疑問なんですけれど、ネットもなかった時代に東京の画塾(お茶美)をどうやって見つけたのですか?

それは単に、進路の雑誌の広告に出ていたんですよ。
美大を受けたいという子が友達にも何人かいたので、そういう人からの情報もあって。
「お茶の水」でも「すいどうばた」でもどこでもよかったんですが、とりあえず「お茶の水美術学院」に決めました。

ムサビは、今ある小平の校舎?

国分寺から西武国分寺線というのが出ていて、鷹の台という駅で降りるんです。
その駅から歩いて15分くらい掛かりました。
住むのは、国分寺駅からしばらく歩いたところにあるアパートです。
いとこがそのアパートにいましたので、頼んで1部屋を借りてもらいました。
周辺は鬱蒼たるところでね、まだ武蔵野の面影が残っていて、昔女子寮だったそこは、トイレも共同でしたし、古くて汚い建物だった。
けど家賃が1か月7,000円で、その当時としても破格の値段でした。

学科は何でしたっけ?

工芸デザイン専攻でした。
金工・木工・プラスチック・染織・陶芸の5つのコースです。
漆はなくて、陶芸をやりました。

陶芸??!

「工芸を勉強するには、一番直接的に形を作れる陶芸がいいのではないか」と、親父が言ったものですから。

ムサビって、どの学科に行って日本画油絵など全部やると聞きましたが、やりました?

私もやりましたよ、油絵とか彫刻のレリーフとか。

金継ぎステップその3:いよいよ金継ぎ

※麦漆で接合した後、金継ぎの仕上げをする工程までは、通常3週間〜1ヶ月くらいかかります。ですので、仕上げの工程を見せてもらうために、今接合したばかりのお茶碗ではなく、あらかじめ数週間前に接合し、中塗まで終えた急須で、金粉を蒔く作業を見せてもらいました。

漆は見た目が黒いので、最後の仕上げとして「金」でお化粧してあげる感じですね。

金はどのように?

金は漆を塗って1時間くらい塗り風呂に入れておくと、表面だけ硬くなって乾いてくるんですよ。
そんな生乾きになった時を見計らって、金紛(きんぷん)を振ると、漆を塗ったところの表面にだけに金が定着するというわけです。

「金の絵の具のようなもの」を塗るのではないのですね!

そうです。

(中研ぎのペーパーを当てている音が聞こえます)

金継ぎは最初からやっていたんですか?

いえいえ、うちのかみさんが粗忽者ですぐに割っちゃうんですよ。(笑)

耳が痛い。(笑)

そんな自家用から試行錯誤しながらやってみて、ある程度自信が出来た頃に他人様からも頼まれるようになったんです。

必要に迫られて、ですね。(笑)いろいろな人の思い出に触れる仕事ですね。
新しいのを買わないで、わざわざ直して使うには理由があるんですよ。

そうですね。
金を蒔くには下塗りとして、弁柄漆(べんがらうるし)に生漆(きうるし)を少し混ぜた「絵漆」(えうるし)を使うんです。

キレイ・・・素敵な色。

金継ぎに使うベンガラって何ですか?

ベンガラって、化学的に言うと「酸化第一鉄」という鉄の化合物です。
京都あたりに弁柄格子(べんがらごうし)ってあるじゃないですか。
それが弁柄なんですけど、これを漆に混ぜたのが弁柄漆ですね。
縄文の昔、「赤漆」というとこれ(弁柄)だったんですよ。
ですので、「朱漆(しゅうるし)」と「赤漆(あかうるし)」は、別物なんです。
これをテレピンで少~し柔らかくして・・・。
(漆をテレピン油で薄めている)

その手つきが、職人っぽくてかっこいい・・いや本物でした(汗)。

そうですか、あはははは。
漆を練ったり混ぜたりするときに使うヘラは、鉛筆のように立てないで、なるべく水平に近いくらいの角度に寝せて動かすと、漆が上手くまとまりますよ。

(細い筆で漆を乗せている作業を見て)こっちまで息が止まります。

完全に中塗り(この前の工程で塗った黒い漆の部分)を覆い隠すように、細い蒔絵筆で丁寧に線を塗っていきます。
塗り終わったら、またこれを塗り風呂に入れて、1時間置き漆を乾かします。
漆の表面が生乾きになったら、そこに金粉を蒔きます。

金粉(きんぷん)、ですか?

これは金の消粉(けしふん)と呼ばれるものなんですけれど、とにかく金粉はけっこう高いんですよ。

これでおいくらくらいですか?

1グラムで1万円くらいするかな。

絶対クシャミ、できないですね。

(笑)こんな風にして、柔らかい筆で金粉を振っていきます。

かっこいい!!キレイ!

そのあと真綿で表面だけ軽く擦ると、光ってきます。
これをもう一度塗り風呂に戻して、1~2日置き、完全に乾かしてできあがりです。

最初考えた人、すごいですね。

(笑)ですね。

「金でお化粧してあげる」ってところが、素敵ですよね。

金粉の中でも丸粉(まるふん)というのを使います。
一つ一つの粉の形が丸い丸粉は、1号から15号まで粗さがいろいろあって、消粉よりさらに高価です、それを蒔くときは、ほとんど艶がないので、乾いてから表面だけを磨いて艶を出すんです。
蒔絵(まきえ)をする人は、絵柄によってその粗さを使い分けていますね。

は~、そういう世界なんですね。かっこいい・・・。
見事な金継ぎの現場を見させていただきありがとうございました!

いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。

金継ぎステップその3:いよいよ金継ぎ

単純に伝統工芸の取材だったら、こんなに思い入れを持って挑めないと思います。

ここまで思い入れを持って挑めるのは、9年前に金継ぎをお願いして、大事なお茶碗が割れるたびに(そんなにしょっちゅう割るな、私、笑)お願いしてきた経緯があるからです。

ただ依頼して返ってくるわけでなく、手書きで超達筆なお手紙が入ってくるんです。

実際に金継ぎの工程を見て・・・電子レンジも食洗器も入れていましたが(白状します)、なるべく最小限にしようと思いなおしました。※実際最低限にしています。

直してくれた人に会って、直すプロセスを見たら大切にするようになりました。

(割れたらまた直せばいいや、と思っていたので)

今回、学校の課題で出た職人の潜り込みで金継ぎの最初の工程をやらせてもらった娘は幸せ者です。

また、この取材の後、村上の郷土料理に舌鼓をうち、〆張鶴の蔵元や村上の町を半日案内していただきました。

その時の様子は、下記ブログをご参照下さい。

【金継ぎの取材@弾丸日帰りその4】村上の町を案内していただきました